2022年12月3日から14日の生活

▼前回の日記を書いた日の翌日が胸痛のピークだった。以後はたまの息切れやうっすらと続く痛みはありつつも、基本的には快方に向かっている。接種後はや3週間といったところだが、だいぶ長いダメージとなってしまった。このまま良くなればいいのだが…。
 
▼普段使っている鉄道会社が節電でエスカレーターを止めている。心臓に負荷をかけたくない事情を抱えてしまっている自分は、エレベーターを使わなければならず、ベスポジを決めていた車両選びに困難をきたしている。歩くのは嫌いじゃないのにこんなことになってしまい、ため息である。それでも5回目を打ちますかと問われれば、打つだろう。(医者には相談するかもしれない)
 
▼というわけで電車内は日中の照明を切っていることも多く、本を読むのに苦労している。なんだか天気がすぐれない日が目立つので、日中でも暗い時間帯も多いのだ。それにしても薄暗く混んだ電車というのは、どこか強制労働の香りを漂わせている。乗る前も、乗ってからも、あまり良い気持ちのするものではない。
 
▼12/4は、カネコアヤノ@Blue Note東京。彼女の囁くような声に引き込まれて、大きな声で包んでもらい、最後はその生命の使い方で現実の生活へと送り出された、そんな時間だった。「今年はもうきっとどこへもいけない」が『よすが』リリース時の現実のドキュメントとして完璧なラインだった『栄えた街の』からの「君と旅行へゆくんだな」の『旅行』という流れ、とても良かったな。スタートから3人編成で演奏していたのが、最後の『わたしたちへ』で鬼気迫る独奏となり、僕はこらえきれず落涙してしまった。そもそもがこの楽曲というのが大変な曲である。「変わりたい、変われない、変わりたい、代わりがいない私たち」「寄りかかるのが怖い 愛ゆえに」嗚呼。それをあんな演奏で見せられたら言葉もない。僕はこの人の音楽のおかげで生活をゆくことができる。終演後に「気をつけて帰ってください」と彼女が発した言葉は確かに「気をつけて(生活へと)帰ってください」だった。情から景へ。そして日々から宇宙へ。その果てに降り立った生活は、紛うことなきわたし「たち」のもの。気を確かに、歩むしかない。全編を通して私たちは大丈夫、と言ってくれていたような、そんな気がしている。


▼その丁度同じ日の日中、恋人と街を歩きながらジュエリーショップ。国山ハセン氏のような風貌の店員に接客を受ける。後日、そこで見て悩んでいたものを内緒で買ってプレゼントしてあげた。いわゆるクリスマスプレゼントである。最近はハッピーホリデイというとか何とか。プレゼントをした日の夕方、渡す数時間前、行きつけのケーキショップ。ケーキの予約をする。かつては暦からの解放とかいって、全ての日をフラットにすることを標榜していた。それが実存として世界と対峙するためのやり方として正しいと考えていたからだ。今の僕は、実存であると同時に生活者だ。生活者には記憶やあるいは未来のためのトリガーとなる、いわばセーブポイントのようなものが必要で、暦に即した年中行事はその役目を果たすのだ。暦に基づいた何かをするたびに、「ぐっ」としたものを、腹の底にぶつけながら立っている感じがする。これが胆力であるのか、冬。