2022年12月2日の生活

▼朝目が覚めるとサッカー日本代表がW杯のグループリーグを突破していた。そして挨拶をしてくるのは起き抜けの不快感。ワクチンの副反応で体調を崩してからはや10日以上が経過している。浅い呼吸は落ち着いたが、胸と背中の痛みにはほとほと嫌になる。とはいえ、快方には向かっているのでなるべくストレスを掛けないように暮らしていきたい。
 
▼11月はいろんなことがあったのだけれども、そのどれもが12月にも食い込んできていて(転職活動は終わらないのだよ!)、落ち着いたら日記を書こうかなと思っていた自分にそれは叶わないのではないかと思い至らせるには十分すぎるほどの侵食だった。ので、書くことにする。「それそのもの」を書かなくても、書くという行為が何かを異化するには十分な働きをしてくれることを期待して。

▼家ではジェニー・エルペンベック『行く、行った、行ってしまった』(白水社)を読んでいる。小説を読んでいるのはいつ以来だ?体感ではジョン・ウィリアムズストーナー』(作品社)以来なのではとすら感じている。電車では山口裕之『「みんな違ってみんないい」のか?』(ちくまプリマー新書)を読み始めた。最近、ちくまプリマー新書づいている。少し前に小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社)を読んでいたあたりで読む読む本でたまたま「ネガティブ・ケイパビリティ」周辺の話が連続したり、國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)を読んだあとに山口尚『難しい本を読むためには』(ちくまプリマー新書)を読んだらちょうど『暇と〜』の話が出ていたりして、読むという行為の偶然の繋がりを面白がっている。今読んでいる2冊もまた、どこかへと自分を運んでくれるに違いない。
 
▼部屋に帰ってきてからは『エルピス』の5話を見た。Rina Sawayama『Hold The Girl』を聴きそびれていたのを思い出して聴いた。

▼明日は仕事で早起きだからそろそろ眠らなければならない。「落とされた」からというわけではないのだが、今の仕事を続けていく可能性を思う時間が一時期より長くなっている。ほぼストレスなくやれているし、間違いなく向いているし、健康診断の数値はみるみる改善しているし…。でもそれは「会社」じゃなくて「職場」に依存した何かである部分も大きいよなという実感もあって、異動次第じゃまた大変なことになりそう…という予感をビシバシ感じるのであった。どうせならば、いい思い出を最後に去りたい気持ち。いや、そんなことより何よりも、現在日々こなしていることよりもやりたいことが明確に「ある」ということ。それならば、易きに流れずこだわってみたいとは思う。思うのは勝手だが、僕は早いところ眠らなければならないのだった。それにしても求人段階で随分と年齢で切ってくるじゃないか。総体としての社会に触れたとき、社会の退場口につながる列に並んでいるんだなという感じがヒシヒシとする。抗うつもりはないが、楽しまなければならない。いやいやその前に、とにかく眠らなければ。明日は胸の調子が良いことを願う。