2021年6月12日の生活

▼睡眠時間が短かったので、ちょっとつらい朝だった。この2日間よりは過ごしやすい感じだった。やはり30℃というのは1つの境目なのだなと思う。気持ち的なものもあるかもしれないけれど。
 
 
▼仕事を早めに切り上げて美容院へ向かった。夜ははっきりと風が強くて、天気が下り坂になることがわかった。電車を乗り継ぎながら、誰かの日記を読むことについて考えていた。誰かの日記を読みたいと思うことは、いったいどういうことなのだろう。その人の私生活を覗き見たい、ということではないだろうという感覚はあるのだった。というのも、僕は好ましく思っている著名人の日記やウェブログ(とあえて記すが)を全く読まない。その人の「私」の部分にはあまり興味がないからだ(もちろん、そこで公開されているものが「私」そのものであるというほどナイーヴではないが)。僕は自身が読んでいる日記から、何を受け取っているんだろうか。一つ思い当たるのは、市井の人々の営みがあるという事実を受け取っているのでは、ということだ。昔深夜ラジオをリアルタイムで聴いて夜を明かしていた頃に、その番組に寄せられたメールから、その向こうにいる人の存在を感じたことを思い出す。あの頃、その人の私性とは地続きでありつつも、離れたところにある「営み」そのものの匂いを感じ取っていたのだと今なら分かる。きっと今も同じことを感じているのだろう、そんな気がしている。でも、そこに記されている文そのものは私そのものなのに、そこから「営み」の香りだけを剥離して受け取っているなんて、そんな事が本当にあるのだろうか。
 
 
▼夜に山戸結希『生きるとか死ぬとか父親とか』第9話を見て、松岡茉優の演技に圧倒されて泣いてしまった。映像もさすがの山戸監督だった。隣で見ていた恋人は、おじさんの涙を心底怖がっていた。ずびずび。