Pii / カキツバタ

リリースされてから狂ったようによく聴いている。聴くたびに震える。

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ガラス張りの街のガラス張りのDJブース、その導入部だけで「今」のことだとわかる。(それでもこんなに具体的なのに、現実に存在するものなのか僕には見当もつかない)アナログレコードをかけても、当然、ただ自分の好きな曲を聴くだけ。ため息も出る。それでも、と顔を上げる。ここまででもすごいのだけれどもまあわかる。でも曲は父という第三者の登場で社会性を帯び(父というチョイスもすごい)、心象風景から思わぬ方向に跳躍する。ゆっくりと。でもはっきりと。その萌芽が、ファーストコーラスの最後に示される。
 
セカンドバースの入口も、前項から流れるように第三者=社会をそのドアにする。若干の不穏さを含みながら。コーラスワークには男性の声もより折り重なってきて、音も少しだけゴージャスになっていく。vaporwave、future funk、シティポップ、ボカロ経由のサウンド、そんなあれこれを経由した2021年に鳴るにふさわしい非J-pop的なサウンドメイキングと驚くほどシンプルで素直な展開による「シン・カヨウキョク」の立ち姿に感動する。そして何よりもこの、平易な言葉で紡がれる的確な現状認識。街は息づく、街は生き抜く。そうであってほしいと願う。加えて言葉の面でいくと、そのミニマルな曲展開と歌謡曲然としたメロディラインで見落としそうになるがここにはほとんど同じ言葉が出てこない。でもたしかに、ずっと同じことを歌っている。思えば主体的に生きたとき、僕らは人生を螺旋状に進み、時を「流して」いってはいなかっただろうか。この曲のように。そうこうしているうちに楽曲はとんでもないラストに到達する。 

幸せがくる 足音がする
どんなにすごいレースでも 走れるよ!と
父に言った昔と
子に語る未来と
今をゆく私を思う

同じセリフをが世代を超える。父にも子にもそして今の私に対しても、他ならぬ「私」が発した言葉として超えてゆく。それは確かに私がわたしの生をまっとうしているということ。これはかつてThe Morning Bendersが、deerhunterが鳴らしていたのと同じ、記録と記憶に関する物語。ステイホームが幅をきかせてからというもの、じりじりと悪いことが積み重なって、そしてそこから目を背けるかのように僕らの時間は止まったままだと感じていた。それでも確かに時は流れていて、自分の意志でもう一度人生を取り戻して、次に託すことだってできるはず。何に元通りになってほしくないか、それを覚えておかなければいけないとこの1年思い続けてきたけれど、それと同じくらい大切にしなければならないものがあるということをこの曲で気付かされた。希望を作り出せる日々でありたいし、瞬間でありたい。とにかく今は、そう考えている。