2022年9月13日の生活

若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(文春文庫)を出発前に210ページまで。若林さんにとって親父さんがとても大きな存在だったことは、知っていたつもりだったけど、あたらめてまとまって読むと今まで以上にグッと来るものがある。キューバ編の終盤には「東京に色を取り戻す」というようなことが書いてあって、僕にとっての東京は何色だろうかとか考えた。田舎から出てきた僕にとって、東京が灰色だということもないのだけれども、その感覚自体はとてもよく分かる。なぜ、現在のようなシステムになっているのか。それは誰が選択してきたことなのか。そしてそれは(過去ではなく、これからにとって)本当にベターであるのか、それはよくよく考えなければならないことだと思う。
 
▼仕事中はずっと体調がよくなくて、すきっぱらに市販の薬や漢方を次から次へと放り込んでいた。
 
▼新譜はCoby Sey『Conduit』、Oliver Sim『Hideous Bastard』、Holy Fawn『Dimensional Bleed』、Preoccupations『Arrangements』を。旧譜でLantern Parade『夏の一部始終』『魔法が解けたあと』を聴いた。この2枚は2010年代に燦然と輝く大傑作だ。当時の自分がそれぞれ2011年と2015年に年間ベストに選んでいる。

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▼読み進めていた『哲学の歴史』(中央公論社)のp.614からp.615にこんなことが書いてあった。

「不動の動者」は、現実態にあるものは現実態にあるものによって可能態にあるものから生み出されるという理由から、最終的にいかなる可能態の様相をも払拭した純粋な現実態として構想される。それは、その実体=本質(ウーシアー)が現実態そのものであり素材性をともなわない存在である。アリストテレスは、さらに、そのような不動の動者を、ほかのものがそれを希求する目的因であり、したがって美しい人が恋する人を惹きつけるように、それ自身は不動のままほかのものを動かすものとして描き出す。

瞬間には神様がいるとずっと思っている。でも瞬間には誰もたどり着けない。なぜならそこは神様の住まうところだから。僕らは、よくてせいぜい瞬間を「重ねる」ところまでしか行けないだろう。それでもどうにか瞬間にたどり着き、とどまることを目指してみたい。そのために僕はもう一度大学に入ったのだ(人に聞かれたら別の事を言っているが…)。とにかく、ここに書いてあるのは瞬間と同じ話なのだと思って読んでいた。
 
▼帰りの電車でゴダールが亡くなったというニュースを読んだ。瞬間への憧憬もゴダールの作品群も、僕の20代の傍らにあったものだった。恋人が僕を30代に連れて行ってもなお、僕の20代は言わば2001年に描かれた迷宮のミノタウロスのごとく、涙を流し続けているに違いない。『Amnesiac』とは「記憶喪失者」の意だが、生活を行くものはどこかで人生の記憶を喪失しなければならないものなのかもしれない。