2020年10月14日の断片

▼昨日よりは幾分体調が良くなった。
 
 
▼先日、長年連れ添った目覚まし時計が逝ってしまったのを機に、新しいものを迎え入れたのだが、こいつがめちゃくちゃ奥ゆかしい音を出すせいで全然起きられない。お前店頭ではあんなに大声でおったやんけ…となるのだが、いやあの場面ではその音にプラスして「私は今、店頭で大きな音を出しています」という自身の羞恥心がブーストをかけていたような気もするのでまあ…。また買い直そうかな。しくしく。
 
 
▼最近聴いた新作アルバム、Future Islands、Mary Lattimore、Gunn - Truscinski Duoとどれも悪くないんだけどうーんという感じだったのだけれども、帰りに聴いたFeng Suaveの6月に出ていたEPはロマンチックで良かった。

Feng Suave - Maybe Another Time (Official Music Video)
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▼欅坂が櫻坂に名前が変わりましたよ〜みたいな話があり。これを機に欅坂の好きな3曲を開陳しようかなと思っております。「二人セゾン」「避雷針」「Student Dance」以上です。お納めください。

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shor ver.とかいう前世紀の遺物ってまだあるんですか…というのはおいておくとして。もともと「瞬間と永遠」的な文脈で「二人セゾン」はずっと好きなんだけど、小池さんのそれが形になってきてから更に好きです。「避雷針」はそのそっけない楽曲の展開が好み。結構面白い構造をしている。私信めいた歌詞はちょっとアレだけど。「Student Dance」は「アンビバレント」期の鈴本さんがめちゃくちゃ好きだっていうのがあってそこから、というのもあります。
 
ついでに推しの変遷をたどりますと、「織田さん」→「織田さん・鈴本さん」→「鈴本さん・土生さん」→「鈴本さん・土生さん・小池さん」→「土生さん・小池さん・森田さん」→「土生さん・小池さん・森田さん・増本さん」(イマココ)となっております。いるかこの話?まあそれとは別にキャプテンには幸せになっていただきたいです。あ、あと、話題はまとめておけということで2017のベストディスクのときに書いた1stアルバムの評を引用しておきます。

繰り返される「大人」という言葉は記号でしかなく、本質的にはこの国に蔓延する同調圧力と、それによって内部から蝕まれ老朽化したシステムや慣習などを指す。「大人」が消失した現代においては、抵抗はそこへ向けられてしかるべきものである。その表現の構造がどうであれ、不寛容な時代に風穴を開けるべくキッズ(古さとステレオタイプを大いに感じさせる言葉たちは、だからこそ表面的にはシンプルな意味内容だけを持つようになり、彼らへと伝播するのだろう)を啓蒙する姿勢は閉じて行く時代とこの国においては賞賛されるべきものだろうと「サイレントマジョリティー」における平手の先導を見て思うのだった(だがかつてジャンヌ・ダルクはどうなった?)一方で彼女たちが座しているのがアイドルという大文字の物語と偶像の世界であるというのがまた問題を複雑にしている。そう、「イメージを越えた」先にあるのは、結局はありふれた物語の範疇ではないのか…?それぞれが別の方向を見ながら1つのフォーマットに収まろうとするときに生じる歪みのようなものを、彼女たちを取り巻く「大人」たちはある種の美談としてプロデュースしそのドキュメントを見せることに成功していると考え、観客もまたその仕掛けの中に知らず知らずのうちに組み込まれているが、それそのものが本来彼女たちが破壊すべき対象ともいえる。望まれたように悲鳴なんか上げない(それは行動せよ、とのメッセージだ)と自らを鼓舞し続けた結果の「自我」によって、構造と駆動のパワーバランスが多重に崩れていくなかで、見えてくるものは何だろうか。
それぞれがそれぞれのために歌い、踊ること。アイドルになりたくて動き始めた彼女たちではあるが、その先(あるいは根底)には自由を希求する想いや自らを表現したいという欲求がなかったか。このプロジェクトは、状況を誰もコントロールできなくなってからが勝負だろうと思う。その時にそれぞれがこのフォーマットを維持しながらどこへ歩き出すのか。あるいは崩壊、もしくはスポイルされてしまうのか。この「アルバム」とはいえない(これはプレイリスト、だろう。時代とは別のところで時代と同期してしまっている)マテリアルが彼女たちの革命が自身を取り巻く状況だけではなく彼女たち自身をも越えて行く、そんなブレイクスルー前夜の苦しみとして記録されるのか、それとも終わりがあらかじめ決まっていたが故の興行として記憶されるのかは、歴史が語ることである。

 
etlivsfragment.hatenablog.com


 
ドメスティック全開でやっているうちに表現としてもう一段上で勝負できるポテンシャルを眠らせてしまったのかもしれないなという思いが拭えません。それすなわち芸能世界のプロデューサー主導であることの限界でもあるのかもしれませんが。改名後の展開においては、彼女たち「が」表現するものの強さの源泉を周囲が見誤らないでほしいものです。