2020年5月21日から24日の断片日記

5月21日

1001枚の作業もあいまって古いものばかり聴いているが、もちろん新曲も聴いている。最近のだと…このあたりが良かったです。


Lolo Zouaï - Alone With You (Lyric Video)


Yebba - Distance (Lyric Video)


Feng Suave - Half-Moon Bag (Official Audio)


PREP - Pictures Of You (Official Video)

feng suaveの新曲はなんか妖しくて良い。
 
記念日が近い。が、店もあいてないし、いつもの要領で贈り物をコソコソと準備する用意も進まない。が、これを気にエリアの使えるお店を開拓して色々と揃えるのも悪くない。制約の中の美。The White Stripesから教わったことだ。
 
 

5月22日

仕事帰りに前回の試験の結果が通知されていたものを確認したら最高評価だった。また頑張ろうと思う。
 
行きと帰りに聴いた『POP LIFE:The Podcast』#63の、『ロングショット』に関する盛り上がり方がめちゃくちゃ楽しそうで良かった。『スキャンダル』、見ようと思う。
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以下メモ。
・『ハスラーズ』のポールダンスシーンにおける、フィオナ・アップルの「クリミナル」
⇢女性のエンパワーメントとしてフィオナ・アップルが今求められている(新作もよき
シャーリーズ・セロンが第1クオーターのMVP
・『グリンゴ』『ロングショット』『スキャンダル』
・せめてアートがアートであれば(エンタテイメントに振りすぎている)…という平時における困った状況が、コロナ禍における政府との関係の底流にはありそう
・『ロングショット』のセス・ローゲンはジャド・アパドー周辺人脈
・『ロングショット』はもしトランプがいなかったらというエスケーピズムの文脈がある

・音楽監修者のプレイリストを聴くという三原さんのディグリ方はいいなあ

・「リスペクタビリティ・ポリティクス」
 成功するために、差別されないために模範的な振る舞いをすること。少し失敗したときのダメージが白人男性とは段違い。
・社会的に成功しているセクシャルマイノリティは肯定されるがそうでないものはどこにいく?
・日本においても、男性はだめになることを許されている
→これはずっと思っていて、以下は2016年に書いた大森靖子の3rdについて書いた文章の一部。

そもそも男性だって、女性だって、みんな生きづらい、そういう世の中だと思う。
でも、性に由来するものでだけでいえば、女性やあるいはLGBTの人に比べたら男性のそれなんてちっぽけなもんだと思う。もちろん痛みや悲しみは個人の持ち物ではある。けれどもその前提は抱いた上で、それでもなおやはり「僕」は彼らや彼女らと比べて恵まれており、ずっと甘やかされている。そうであるならば、いやだからこそ、今よりももっと本当の自由に近いところに行って、せめてすべての希望たりうる存在にならなければならない。

今はまた違った考え方をする部分もあるにはあるんだけど、男性は優遇されているということは自らの性における普通や当たり前の範囲がカバーしている部分を考えても、揺るがない事実だろうと今でも考えている
 
『スキャンダル』のジェイ・ローチ、ハリウッドでは比較的保守派の白人。シャーリーズ・セロンから、「だからこそ撮るべきだ」と依頼。リベラルと保守を横断する作品とするための視点がシャープだし意識的。
・異なるアイデンティティを描くためには、トライアンドエラーとそれを超えていくエンパシーが大切
 
 

5月23日

少しだけ早く起きて、スーパーに行くねとか言いながらでかけた。実際には商店街の文具店で便箋を買い、2つ先の駅へ出かけてケーキを買った。こじんまりしていたけど白を基調としたかわいらしいお店で、通りの雰囲気とよく似合っていた。
 
部屋に帰ってケーキを二人で食べた。
 
若干気持ちに余裕が出てきたので、サフディ兄弟によるNetflix『アンカット・ダイヤモンド』を最後まで見た。開始1時間後くらいからようやくこの映画の文法が体に入ってきて、結果的にはものすごく面白く見れた。実際の生活ではあんな感じで言葉が飛び交っているのかもしれないなと思った。今や街はだんまりだけれども。
 
HBO『ゲーム・オブ・スローンズ』はようやくS3へ突入した。俄然面白くなってきた。
 
 

5月24日

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社会に対する言葉と世間に対する言葉の違い、なるほどなと思う。確か著書や様々なインタビューでも語られていることだったと思う。社会が仕組みやシステムだとして、世間は感情の生き物だと思う。世間に対する言葉しか持たない人間の増加は(それは社会への信頼低下を端的に表しているともいえるかもしれない)、その言葉で社会をよりよいものに変えるでもなく、ただひたすらに世間を再生産して自意識を肥大化させていく存在の増加を意味するのではないか。ひいてはそれが、当人の生きづらさを増長させていく。想像力と、対象に語りかけるための言葉。そういうものは、持ち続けてアップデートし続けていきたい。
 
あとはどこか弛緩した時間が流れていた1日だった。でもその抜け具合は、これまでのものとは少し違って、日曜のそれであったような気がしている。