重ねられた生活 20191030~1105

1030(Wed)

ハライチ岩井さんのインタビューが良かった。
 
www.asahi.com

俺が世の中怖いなって思うのが、そういうことを言ったときに「本当はみんなも、そうじゃないってわかってる」みたいなトーンで「本当のこと言うなよ」って言われることなんですよ。うそで生きてんだ、って思う。しかもそういうときって、「本当のこと言うなよ! すみません、なんかこいつが」ってなだめるやつが絶対いる。そういうやつは信用してないです。

言ったほうがいい「本当のこと」って山のようにあるよなあって思う。
 
ニュー・シネマ・パラダイス」を見始めた。今使える時間的には少しずつ見進めていくしかない。開始まもなくこれは音楽が最高のやつではと思ったらエンニオ・モリコーネという人、どえらい人だった。また一つ学んだ。序盤、子どもへの躾と称した暴力が、ゼロ距離であることに時代を感じた。今ならそこにためらいや"背景"を挟み込むだろうか。
 
 

1031(Thu)

病院。広く清潔な受付。順番を待つロビーで僕ら、平等だと思う。看護師さんに呼ばれて返事をする。耳をそばだて聞いていると、その返事のさまや声のハリだけでもすごい情報量だ。それが診察室に入ると霧散する。それははたして人生だろうか、それとも生活なのだろうか。
 
新宿の、ふだんは降りない方の駅出口周辺を歩きながら、様々な階層の人が行きかうのを見る。階層、こういうことが当たり前のように頭にのぼってくるくらいには、世の中に暗い影が差しているのだと思う。あるいは僕の解像度が、そういう方向に向いているだけなのかもしれないけれど。
  
   

1101(Fri)

折坂悠太のインタビュー。示唆に富んでいて刺激的。
 
rollingstonejapan.com

2018年のBEST MUSICの項で、『平成』が時代の空気を確かにパッケージしていたことを書いたけれども、そのどれもが「今」の音楽として、そして同時に普遍性をも持ち合わせていて、とてもとても魅力的だなと思っていた。それはエンジニアの中村公輔氏の功績が大きいということがここで分かった。「朝顔」の話も面白かった。『平成』でおやすみと歌った後に続くシングル群で朝を繰り返し歌っていること、カネコアヤノが「光」を歌い続けていること、その両方がちゃんとつながって、自分が彼らの音楽を愛聴する理由が分かった。
 
tsktsktsk.hatenablog.com
 

折坂悠太 - 朝顔 (Official Music Video) / Yuta Orisaka - Asagao
 
   

1102(Sat)

僕の声量が小さいというのもあるのだけれども、土曜日のあいさつ、「行ってらっしゃい>行ってきます」「おかえり>>ただいま」になるの、結構好ましく思っている。ふとしたときに恋人の声の大きさで笑ってしまう。これも含めて、いいなあと思うことはちゃんと伝えようと思っていてだいたいそうしている。いつか僕がいなくなっても、自分で自分を肯定できる人であってほしい。僕は自分を否定しない(これは謙虚さと両立する)ところに来るまでにずいぶん時間がかかって、そしてそこからさらに足踏みをしているような気もしているから、なおさらに。
  
 

1103(Sun)

ご飯屋さんを「家族で会食」という用途で予約したときに(正確には家族ではないんだよなあ…)と思った。ただまあ、異なるのは予約者との関係なだけであって、そこに集っている人間のうち、多数派は「家族」であるからして、間違っているわけではないのか…などと逡巡をした。
 
家族(血族?)というものに疑義を抱くようになったのはいつからだろうか。特段大きな事件があったわけではないから、その意識の出自としてはあの閉鎖的な空気・環境に対する嫌悪があったのだろう。恋人はその辺に対しては全く抵抗や頓着がないようで、非常に幸せなことだと思うし、僕も好ましく思っている。家族の本質がコミュニティであることにあるならば、それは血族である必要はなく、多様な形があっていいと思う。これまでの社会を維持発展させてきたやり方に、弊害があることが分かった以上、そのあたりを解消させる方向にちゃんとアップデートされていけばいいなと思う。
 
 

1104(Mon)

暦通りじゃない仕事をしていると、暦通りの社会の存在がどこか希薄になるというかファンタジーかのような気持ちになってくる。でも通勤しようと電車に乗るとよくわかる。世の中は規則正しい生き物のように動いている。それはどうやら正しいようだった。
 
夜にCigarettes After Sexの新作を聴いた。オープナー「Don't Let Me Go」の音像に夜明け頃の空気を感じた。
 

Don't Let Me Go - Cigarettes After Sex
 
2017年の年間ベストで1stについてこう書いた。

空が白んでくる頃、夜には確かに時間の流れがあるのだということを思わされる。とくにそこまで色のない時を刻み続けているからこそ、昼のそれよりも劇的なものとして。それでも夜というものの性質上、変化はとても静かに実感されるのだ。そんな夜の時間の流れに対するサウンドトラック、それが米テキサスはエル・パソブレイキング・バッドだ!)発のドリームポップバンドの1stである。起伏もなくただひたすらにスロウでドリーミーなバックに中性的な男性ヴォーカルがのる。シンプルだがこれほど夜に効く音楽もあるまい。年齢も重ねて夜は眠るための時間になった僕にだって、胸を痛めて寝付けない夜くらいはある。そのとき、いつ始まってもいつ終わっても甘美な思いにひたれる音楽が隣にあるということは幸福なことだ。「Truly」からのラスト3曲は幽玄なまどろみであり、同時にSexのあとに訪れる少し苦みのある倦怠そのものである。

そういう意味では、夜が進んで朝になるということで、当たり前の2ndといった趣だ。起伏も変化もないのも相変わらずという感じで、これしかないんだという潔さすら感じる。
 
ところで、夜よりも朝の方が好きになってきたという話、何度かしている。たぶん、先日書いた朝と光の話とつながっている気がする。
 
 

1105(Tue)

最果タヒ『きみの言い訳は最高の芸術』、いったいいつまで読んでいるのだという感じだけれども、とにかく週に数編ずつ大切に読んでいる。今日は「結局なんの話だったんですかね。」まで読んだ。そこには人が嫌いな食べ物の話をするときの容赦のなさが書かれてあった。ひとしきり笑った後、そこに宿るアイデンティティは馬鹿にならないと思った。
 
思い返せば僕は人に食べ物の好みを訪ねる際、好きより嫌いを先に尋ねることが多い。失敗のないように覚えておかなければならない情報だからということと同じくらいの強さで、なんとなく面白いからというのが理由として存在している。その面白さの源泉は、その人そのものがそこに乗ってくるからなのかもしれないなと理解した。この年になっても日々、新しい発見があって楽しくて良い。
 
 
今週はここまで。