2022年6月16日の生活

▼それなりの時間を生きていれば、良いことあるいは悪いことがなぜかどんどんと続いて起こるということはままある話だ。それらはすべて偶然なのだろうとは思っているのだけれども、あるいはそれと同じくらいの温度で「流れ」とかそういう表現をするようなものもまた確かにあるのだろうとも考えているのだった。
 
▼記憶術の本を読んだ。我々は思い出そうとしているときに覚えているのだ。
 
▼一つ前の駅から歩いて帰る。身体をわるくしてから、とにかく健康だ健康だの大合唱(独唱)である。週1回以上は帰宅の際にそうするようにしている。休みの日は、とにかく歩く時間を確保するようにしている。ラジオ体操を毎朝やるようになってひと月になった。夜のお菓子を控えるようになった。これらは確かに生活であり、でもきっと人生をも下支えするものだ。とにもかくにも今日の一駅歩きには別の目的もあって、それは「ちいかわ」のグミを買って帰るということなのだった。いくつかのコンビニやスーパーなどをまわったのだが、結局手に入れられたのは5つだけだった。全30種類のカードが付いてくる。僕はうさぎのファンなのでなんとか当てたいところだ。今日は1つだけ開けることにして、ポシェットの鎧さんを引き当てた。グミは恋人にあげた。残りの4つは明日開けよう。
 
▼年齢が1つ増える1時間くらい前に部屋についたはずなのだけれども、恋人の話を聞いているうちにあっさりとオーバーしていた。かつて風呂掃除をしている間に年を越してしまったことを思い出す。この何でもなさ。あの頃に考えていた「暦からの解放」とはやや趣が異なるかもしれないが、それでもやはり、自分は平穏と反復を良しとしているようなのだった。外が苛烈を極めているからこそ、よりそう感じている。