重ねられた生活 20191120~1126

1120(Wed)

一気に冬めいてきた。でもまだ冬の匂いがしない。週末に雨の予報が出ていて(またしても出かける予定とぶつかっている。今年何度目だ?)、冬はその後くらいからかなとなんとなく思っている。
 
 

1121(Thu)

最近はもっぱら湯豆腐づいている。人から好きな食べ物を聞かれたら「豆腐」と答えるくらいには豆腐好きだけど、一方で全くといっていいほどこだわりがないので、適当に適当を重ねた味付けでもぐもぐとしている。うまい。恋人が部屋に来ているときは鍋ものばかりなので結局おなじようなものばかり食べていることになる。美味しいから、いいよね。
 
にしても、鍋については(2人で食べるから、というのもあるが)毎回材料もレシピも変えていて、なるべく美味しいものを作ろうとしているのだけれども、恋人が「まあ鍋で失敗することなんてないでしょ」みたいなことを言っていて、そうなのだろうか…と思った。そこで失敗をイメージしようと思ったんだけど、そもそもが自分の舌にはまったく自信がなく、さらに器用でもないので基本的には毎回レシピ通り、ちゃんと分量も量ってという感じなので、まずくできたら失敗したというよりはそもそもが口に合わなかったのだと思うようにしているので、「失敗」が上手に想像できなくてなんか変な顔になってしまった。
 
   

1122(Fri)

Beckの新作とDanny Brownの新作を聴いた。今週は年末のベスト記事のためにライブラリをさかのぼっているので新作はあまり聞けそうにないのだけれども、それでもこの2作は特別な作品となりそうだ。
 
 

1123(Sat)

しばらく前から服を捨てようと思っている。新しい服が欲しいからだ。本もそうだが、古いものを捨てない限り新しいものを迎え入れてはならないというルールを課しており(ただし本は電子書籍という抜け道ができている)、この部屋に越してきてからはそれを割と守っているのだった。でも僕のじゃない洋服が日に日に増えていっているため、スペースをつくらないといけなくなっている。とくに悪い気はしていなくて、不要なものを捨てるいい機会になればと思っている。
 
それにしても、あらためてクローゼットを見ると引っ越しという大舞台を経てなお、ワンシーズンとおして一度も袖を通さないような服がわんさかとあることに気付かされる。ものもち…!となるが、同時にお気に入りじゃない服なんてなかったはずなのにな…とも思うのだった。
 
 

1124(Sun)

恋人と食事をしにいって、コースもお会計も終わって帰りましょというときに、お口直しにどうぞって飴をいただいて。ありがとうございます〜とか言いながらぼくはそれをポーチに入れたんだけど、横ではすぐ口にぽーんといれていて、こういうところ面白いよなあと思った。
 
飴がそんなに好きじゃないとか、そもそも口直し用のブツを常に持ち歩いているからというのもあるにはあるんだけど、僕が施しを口に入れない理由はそれが自分で選んだものではないからなのかもしれない。お土産なんかも実は口に入れるの、若干抵抗がある。
 
自分で選んだ、あるいは選んだと信じられる状況というものに対してオブセッションがある。そういうことと全部つながっている。総体としての自分、個別・断片としての自分。その両方をいったりきたりしている。これから、そうした自由な往来がしにくくなったり、あるいは自分で選択するということが難しくなる時代になっていくのかなと思っている。生活に身を置いていても、人生を生きなければならない。
 
  

1125(Mon)

自分のことでマイナス方向に大きく気持ちが動くということが少なくなったのは、あまり期待というものをもたなくなったせいかもしれない。それでも、自分が大切にしている人が尊厳を踏みにじられた時、とても嫌な気持ちになる。
 
本人は軽口のつもり発していたとしても対象である相手を見下していなければ出ないであろう発言をきいて、そういうものは暴言などで人を追い詰めることと本質的には変わらないことだと思った。
 
  

1126(Tue)

あたらしいパジャマを注文した。届く前に服を捨てないと!
 
 
 
今週はここまで。