2022年12月20日の生活

▼仕事のためにだけ脳を使っている感じがする1日だった。それは即ちずっと具体の世界にいるということだ。具体と抽象を往復するような、そんな日々を過ごしたい。

▼通勤中に三木那由他『会話を哲学する』(光文社新書)を読み始めた。

▼帰宅して『エルピス』第8話。相変わらずの1週遅れ。サニーデイ・サービス『DOKI DOKI』を聴いた。最初の頃よりだいぶプラスよりの印象になった。「家を出ることの難しさ」のドタドタとしたドラムには感傷的になってしまう。これは確かに「baby blue」を鳴らしたバンドだし、あのまどろみの迷宮は今もどこかにあるんだと思ってしまう。Ezla Collective『Where I'm Meant To Be』これはもう、ただただ最高のアルバムだ。

▼色んな人の日記を読む。確かに、ぼくも(自分や書く場所の)名前を変えたり突然書くのをやめたりまた書き始めたりしながら20年くらい書いてきて、そのときどきで敬愛の眼差しで持ってそのことばを読ませてもらっていた人たちが、いつの間にか書くのをやめてしまって戻ってこない、というようなことはたくさんある。調べるとそういう人もTwitterにはいらっしゃることも多いようなのだけれども、僕はpostの時代の人間で、RTができて公式だの非公式だのと騒いでいたあたりで辞めてしまっていて、そしてとてもじゃないけど現在のあの磁場に立たせられる人格は自分の中に(今のところ)ないと感じているので、ずっと日記だけのところ(だけのところ?)に引きこもっている。自分自身と対話した上で紡がれる市井の営みの言葉を、欲しているところがある。
 
▼ぼくが自分や書く場所の名前を変えるのはそれぞれコンセプトが違うからなのだけれども、その割にずっとおんなじ話ばかりしている気もする。これがアイデンティティなるもの…。謎の着地だ。